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開発教育支援
第5回ラオス高校生エッセイ・コンテスト特選受賞作品
私達の国ラオスは、昔から先祖が築き上げ、今日に至るまで継承してきた素晴らしい伝統文化、慣習をもった国の一つです。後世の者達は、この大切な私達の文化がラーンサーン(百万の象)の国にいつまでも残るように、守り発展させていかなければなりません。一つの国家である私達の国、ラオスの伝統慣習について語ることはとても大切なことだと思います。
文化は国家の性質を表すものであり、私達の国ラオスも、素晴らしい文化を持っている国の一つです。それぞれの国は、人々に、自分がどこの国民なのか、どの民族なのかを知らせる手段として、自国のアイデンティティーといえる言葉を持っています。また、文化は、私達の日常の暮らしに根ざしており、社会の形を映し出しています。私達ラオス人は、ラオス人や語り継がれてきたラオスの文化を世界の人々に知ってもらうためにはどのようにすれば良いのでしょうか。
ラオスの素晴らしい文化は、様々な祭りや慣習の中に生きており、私達にその姿を見せてくれています。例えば、ラオ・スーン(高地ラオ人)の新年祭、ラオ・トゥン(山腹のラオ人)のラオハイ(地酒)祭、ラオ・ルゥム(低地ラオ人)の新年祭、ロケット祭、ブン・パヴェート(大生経祭:従来、旧4月に寺で催される大読経祭。在家は飾りつけや供え物をする)などがあります。毎年、それぞれの民族はこれらの祭を彼らの暮らす地域で繰り広げます。これらは、ラオスの文化を表すものであり、自分達の祭を心から楽しんで祝うのです。文化を大切にする気持ち、喜びが溢れています。
これ以外にもラオス人が持っている品位や礼儀正しさ、上品な話し方など、ラオスの文化は様々な場面に見ることができます。例えば、ラオス的な着こなしです。ラオス人女性はシン(巻きスカート)を身に着け髪を束ね、パービエン(ストール)を肩にかけ、男性は髪を短く切りキチンとズボンをはきます。また、ラオス人は親切で寛容であり、どこに行っても食べ物に困ることはありません。「家でケーン(ラオス民族楽器の一つで笙の仲間)を聞きながら塩辛でもち米を食べればラオス人である」という言葉もあります。本当にラオス人は平穏に楽しく暮らすことが好きで、先祖が作ったヒート・シップソーン(毎月の行事)、コーン・シップシー(人々や役人、夫婦などが守らなければならない決まり)という慣習を守っています。また、手足や頭脳を男性は竹細工や土器造りに、女性は刺繍や絹織物を作ることに活かしており、ラオス人の中には勤勉さや技巧的な才能といった血が流れているのです。
このような自国の文化を語るとき、このラーンサーンの国に生まれた私達は、その文化を継承し、より発展するよう協力していかなければなりません。それは、将来の国の知識ある継承者と小さな芽である私達みんなに託されているのです。発展を構築する知識や能力、才能を持った者というのは、国家の運命を決める私達若者であり、その血統の継承は、将来に向かって発展させていかなければなりません。
私達は、ラオスが開発途上国であることは分かっていますが、文化に関して言うならば、それは誰に対しても決して遅れをとるものではありません。例えば文化的な遺跡ですが、ビエンチャンのタートルアン、チャムパーサックのワットプーなどがあります。また、私の故郷、ルアンパバーンの町は世界遺産として世界中の人々にその名を知られており、誰もが訪れたいと思っている所なのです。町にはワット・シエントーンやタートチョームシーなどの遺跡があります。ラオス人である私達はみんなで、この世界遺産の町が私達とずっと共に在るように守っていかなければなりません。私はこの世界遺産となった私の村がある母なる国、ラオスに生まれたことを誇りに思っています。
私はこの歴史的な文化の血統を少しずつ発展させて行こうと思います。私達は、私達の国が帝国主義国の侵略を受け、植民地となったこと、彼らが腐敗した文化を持ちこみ、広め、ラオスの若者に従わせ堕落させたことを知っています。未熟なラオスの若者は、彼らの企みを信じさせられ、そして、その時代にラオスの文化は、衰退し中途半端なものになってしまったのです。そのような中で、国家を、故郷を愛する心ある人々は、1975年12月2日、完全な解放を受け入れ、私達は、ラオスが主権を持った完全な一つの国家となったことを知りました。国が解放されて以来、全てのラオス人は平等の権利を得、党と政府は国家の発展に力を注ぎ、教育及び保健のネットワークを拡大し、広く行き渡らせてきました。文化についても同様なことが実行されました。だから、後から生まれ育った私達は、国を守り発展させより豊かにするために、その血統を日常の生活の中に継承していかなければならないのです。
私達の美しい文化が私達とずっと共に在るように、みんなが助け合ってそれを守り、発展させて行きましょう。学生である私自身も、私達の文化の血統を受け継ぎ、私達の文化が後世にいつまでも残るよう守っていきます。
(チャンパサック県 ポンサイ高校)
どの国も自国の文化を持っているのと同様に、ラオスも自分たち独自の豊かで美しい文化を持っています。私はラオス人学生の一人として、先祖が築き上げ、子孫がその意志を受け継ぎ、継承してきたラオスの文化慣習を賞賛したいと思います。また、このラオスの文化を後世に残すことは、地球上に残すことと同じことなのです。
ラオスの文化は本当に豊かで美しく、装いは言うまでもなく、暮らし方にも本当に独自のものがあり、私は、これらの美しさに夢中になっています。私の学校では様々な踊りの活動があり、私もその活動に参加していますが、初めの頃はラオスの文化慣習をよく理解できませんでした。しかし、本物に出会った時、私は、私達の国ラオスが外観だけではなく精神的にも美しいものを持っていることを知り、最高の喜びと嬉しさを感じました。私は、学校の舞踊祭に参加し、私達の文化の美しさを最大限に知ってもらうために一生懸命踊りました。
また、お祭の時には、お年寄りも若者もお寺にお供えをもってお参りに行きます。私はこの寄進するということに特別な関心を持っています。年寄り若者を問わずラオス人は全員、みんなが誇る美しいラオスの儀式に関心を寄せています。お祭に来ている外国人や観光客を見ると、私はラオス人に生まれたことを本当に誇りに思うのです。私の村の新年祭では、みんなが喜んで新年を祝い、私もみんなと一緒にお参りをします。私は、母からお寺にお参りする時にはきちんとした服装で無償の心をもって行くように教えられ、小さい頃から母の教えを守ってきました。
また全ての場所を覚えてはいませんが、ラオスには、独自の美しさを持った様々な素晴らしい文明の遺跡があります。私の村は、チャムパーサック県パークセー郡にありますが、私の住む県には、非常に有名な古い文化遺跡であるチャムパーサック・ワット・プー(注:ワットプー:アンコール時代の遺跡)があり、県に来る機会のある観光客は誰もが、世界遺産であるこのワット・プー遺跡を訪れます。
また、私の住む県以外にもラオスには様々な文化遺跡があります。例えば、首都ビエンチャンには、人々が生活している中心地に巨大なタートルアン寺があります。この大きなタートルアンは、まるでビエンチャンの人々の活動や暮らし方を見守っているようです。ビエンチャンの人々だけではなくラオスの人々を見守っているのだと思います。今回、首都を見学しましたが、ずっと訪れたいと夢見ていたのが、素晴らしいパトゥー・サイ(凱旋門)です。
これらは、ラオス人の心が集まっている私達の文化のほんの少しの紹介に過ぎませんが、この他にも、作法の中に見られるような大切な慣習があります。ラオス人である私は、自分の国の文化をより深く知り、本当の国の在り方を若い世代が考えることができるように守っていかなければならないと考えており、私はこのような慣習をもっと学びたいと思っています。ラオスの人々がラオスの文化を後世に残すには、将来を担う生徒や学生達に、助け合ってラオスの文化をずっと守っていくよう呼びかけ、みんなが一緒になって、自分達の国にとって相応しい方向を考え、模索していくことが必要だと思います。なぜならば、発展した国家は、次のような詩にあるように
知識のある人によって造られるからです。
「国の進歩は良識ある人にかかっている
母国の発展は知識ある人次第である
愚かな青年は町を森に変えてしまう
国が発展できなかったら誰に頼るのだろうか」
これは私達に、国の発展、進歩は、国家の未来を導く(ろうそくの)灯である知識ある人にかかっているということを教えています。平穏な暮らしを与え、支えてくれている国家の多大な恩恵に対し、その国に生まれてきた者は恩返しをしなければなりません。それは、私達の国のために、共に学び、素晴らしい功績を挙げるということなのです。だから私も、私の国を近代的な発展した国にするために、高い能力を持 反対に私達が共に知識を探求しなかったら、文化を捨ててしまい守ろうとしなかったら、私達の文化は尊厳を無くし、みんな見向きもしなくなるでしょう。その結果として私達の文化はもったいないことに社会から姿を消していきます。もし私達の文化が消えてしまったらラオス人はどんな意味をもつのか、一緒に考えてみて欲しいと知識ある人たちにお願いします。ラオス人である意味は、古い文化からもたらされる素晴らしい利益や価値にあるのです。
私は、ラオスの文化を誇りに思っていますが、これ以外に、私が長い間知りたいと願ってきた文化に「日出づる国」の文化があります。「日出づる国」とは日本のことですが、日本は国としての素晴らしい伝統文化を持っており、私達の心を捉える踊りや歌があります。また、ラオスと大きな違いが見られることから、日本の文化に触れ、文化の知識を交換する機会があることを願っています。私達ラオスの美しい文化を日本人に広く知ってもらい、お互いの結びつきを強いものにしたいのです。
また日本の文化以外に、私は、日本の経済や日本人の生活を知ることを夢見ています。なぜならば、日本は、もっとも優れた近代的な科学や学術的知識、テクノロジーを持っており、それらは私をわくわくさせ、経験したいと思わせるからです。また、日本人は困難な状態にある人を思いやりや愛情、団結をもって支援しており、この思いやりが、より日本に行きたいと私を駆り立てるのです。日本が発展した近代的な国であるというのは明らかです。
ラオス人は、みんなが一緒になって、ラオスを「日出づる国」のように豊かにするために心して学ばなければなりません。私達の国の進歩は、若者や学生に託されているのですから、自分達の生まれた国を発展させるためにも一緒に知識を探求し、豊かな文化を忘れずに、後世のラオス人がいつまでも文化の豊かさを享受し、ラオス人と共にずっと在り続けるように一緒に守っていかなければならないと思います。
ラオス人と共に大昔から生きてきた独自の美しさを持っている私達ラオスの文化は、後の世代がもっと深く研究し、知識を探求してくれること、助け合って守ってくれることを待っているのです。ラオスの学生、若者の一人として、自分自身の明るい未来のために、友達や子供達、青年達に共に学び研究しようと呼びかけたいのです。これは国家がラオスの文化を後世に残すために文化を守り、築いて行くことと同じだと思います。私は国のために、良識ある者になるよう知識を探求する努力をしていきます。
(ビエンチャン特別市 サイセッター高校)
私達の国ラオスは、私達の先祖が現在に至るまで継承してきた文化や芸術を持っている国です。文化について言うならば、地球上のどの国もその国独自の文化や慣習を持ち、人々は、各世代が継承してきた伝統慣習を尊重しているのではないかと思います。
私は小さな村に住んでいますが、昔から人々がお互いに守ってきた素晴らしい文化や伝統慣習を持つ豊かな村です。ラオス人の文化は、何十万年も前に誕生し、それは、様々な違った人たちの間で大切にされ信奉されてきました。私達ラオス人は全員、同じ規律である5つの戒律や、ヒート・シップソーン(毎月の行事)、コーン・シップシー(人々や役人、夫婦などが守らなければならない決まり)という慣習を大切に守っています。
また、ラオス人は勤勉で思いやりがあり、寛容でお互いに助け合い、友達や姉妹兄弟をとても大切にする国民であるということを協調したいと思います。ラオスには、様々な伝統慣習や文化があり、それは、人々の暮らしの中に見ることができます。私自身、ラオス人として生まれたことに、また、この国に生まれ、先祖が継承してきたラオスの素晴らしい文化を見ることができることに誇りを持っています。私の民族のお祭ではありませんが、私は毎年家族と一緒にモン族の新年祭に行きます。これは、たとえ民族が違っても文化を大切にすることに違いがないこと、民族を分け隔てしないということを教えてくれます。昔からずっとラオスの国の支柱となっている主要な文化には、お寺にお参りすること、手を合わせること(挨拶)、シン(巻きスカート)を身につけること、髪を束ねることなどがあり、これらは今でも私達ラオスの社会で多く見ることができます。
また、ラオス国民はみんな慣習を厳格に守らなければなりません。例えば、愛し合う男女は、ラオスの決まりを破ってはならないのです。愛し合う男女は、結婚式を挙げるために両家の目上の人と相談しなければならず、結婚式では新郎側が行列を作って新婦の家を訪れます。これもラオス人が継承してきた文化であり、「ガーン・ヘー・クァーイ」と言われているものです。
これ以外に、ラオス正月、ブン・オーク・パンサー(出雨安居:僧が約3ヶ月間の修行を終えるのを祝う仏教行事)、ブン・カオチー(焼むすび奉献祭)など様々な祭があります。これらはラオス人を映し出しているものであり、外国人はとても関心があるようで「ラオスには参加し、試してみたい文化がある」と言います。ラオス人が自国の文化をみんなで守っているならば、外国人はラオスに遊びに来てラオスの文化を知りたいという気持ちになります。私は、ラオスを訪れラオス文化を知った外国人は、ラオスの優れた文化をもっと知りたいと考えるようになると思うのです。だから私達ラオス人は心を一つにして、ラオスの文化が後世に残るように守っていかなければならないと考えるのですが、一部の未熟な若者はラオスの慣習を破り、中途半端な形にしています。現在、党と政府は一緒になってこのような問題を解決し、幸せな社会となるよう、また、ラオスの文化を破るような考えを持たないようラオス国民に呼びかけています。
私の家はお寺が近いこともあり、毎朝母と一緒にお寺に行き、お坊さんにお供えをします。いつもお年寄りがパービエン(ストール)を肩にかけ鉢をもってお寺に来ているのを見かけますが、私にはその慣習がとても誇りに思えるのです。毎日お寺にお供えに行くと、私はその日一日を、穏やかに、安らかに、そして幸せな気持ちで過ごすことができます。私は母とお供えに行くことが好きですし、時には祖母とも一緒に行くのですが、祖母は私に親孝行をするように教え、諭します。
また、お祭の時期になると村の人たちと私の家族は、お祭のために毎回力を合わせます。村の役人はよく私に、「ラオスの文化は輝かしい文化であり、私達はずっと守っていくべきであり、ラオス独自の文化を他の者に破壊させてはならない」と教えます。私はこの教えを受け入れ、従います。
また、私はテレビを見て、様々な文化、特に日本の文化に関心を持つようになりました。お祭で日本女性が着物を着ているのを見ると、機会はないのですが着てみたくなります。また、「法隆寺」のように、日本のお寺も美しい形をしています。日本人は協力して文化を守ることで外国人の日本文化への関心を高め、多くの観光客が日本を訪れています。私も日本へ行って、日本の文化に触れ、もっと知識を増やしたいと思います。もしも、日本へ行くことができたら、私は、ラオスの文化がどんなに興味深いものであるか、分かってもらえるよう日本の人達と文化交流をしたいと思っています。
今まで私が述べてきたことは、ラオス文化の一部に過ぎません。もしもっとラオスを知りたいと思ったら、ラオスを訪れラオスに触れて下さい。そうすればより深くラオスの文化を知ることができるでしょう。ラオスの文化、伝統慣習はラオス人にとって無くてはならないもの、それは母親と子供の関係と同じようにいつも繋がりを持ち、どこにいっても懐かしく思うものなのです。ラオスの文化は美しく敬虔で、それはラオスの国民性を表しラオス人を様々な国際舞台に立たせます。私は、「もち米に塩辛をつけて食べる人である」と言われているラオス人として生まれてきたことを誇りに、そして、独自の文化を持つこの国に生まれたことを幸せに思っています。だから国中の人々に心を合わせて文化を守りましょうと呼びかけさせて下さい。この素晴らしい文化を後世に残し、後世の人々が文化を学び継承することができるように。これは世界への呼びかけでもあるのです。ラオスには「文化は国を表し、礼節は血筋を表す」という諺があります。
(ルアンパバーン県 サンティパープ高校)
世界の国々は、独自の文化を持っています。なぜならば文化は、国民にとって最も美しいものであり、それぞれの国のアイデンティティーでもあるからです。ラオスの学生である私は、ラオスの文化を後世に残したいという夢をいつも持っています。
ラオスの文化は本当に美しいものであり、ラオス国民はそれを敬愛しています。伝統慣習は何世代にも渡って大昔から、私達の先祖が創造し進化させてきたものであるからこそ、新しい世代に文化を築くことができたのであり、私は、文化は国民一人一人のアイデンティティー、また人々が発展していく原点であると思っています。なぜならば、文化は、読み書きする言葉、思考を刻み描写すること、土器を作ること、社会における人の暮らし方から表現できるからです。国を停滞させないようにするのと同じように、党や政府は、私達の文化を構築し発展させることを心がけてきました。例えば、毎年、ロケット祭、ボートレース祭、カオパンサー(雨安居入り:3ヶ月続く雨安居の開始を祝う仏教行事。多くの青年がこの時期に得度する)、ブン・パヴェート(大生経祭:従来、旧4月に寺で催される大読経祭。在家は飾りつけや供え物をする)、また、モン族やカヌー族も新年祭、といった伝統的な祭を催します。これらは私が最も誇りに思っているものであり、みんなも私と同じように考えてくれるでしょう。
また、私達の政府は、文化人の育成と文化的な村を造ることに力を入れてきました。例えば、私の村もそんな村の一つです。私の村は1998年、文化村になりました。なぜならば、私の村の人々は、絹織物、竹細工、土器、醸造、養豚といった仕事をしており、また、私達の先祖が造ったヒート・シップソーン(毎月の行事)、コーン・シップシー(人々や役人、夫婦などが守らなければならない決まり)という慣習を守り、生活の糧である自然と共に暮らしているからです。それは、外国人観光客を惹きつけ収入を増やしてくれます。
だから、その美しい文化を守り文化的な村を造るために、私達は、特に西洋文化の影響を受け入れやすい未熟な私達若者は、注意しなければならなりません。例えば以前のラオスの女性は、髪を束ね、シン(巻きスカート)を身に着け、パービエン(ストール)を肩にかけていたものですが、今ではパンツやスカートをはき、おへその見える短い服を着るようになりました。男性もまた、髪を伸ばしたり染めたり、たばこを吸ったり、お酒を飲んだり、酔って女性と遊んだりしています。私達若者が他の思考の影響を受け、私達の文化を以前より衰退させていることが明らかに分かります。
もし、できるならば、私は私達の文化を携え、世界で最も古い文化である法隆寺がある「日出づる国」や友好的な国との関係を築くために、様々な国、特に、知識レベルの高い素晴らしい文化を持つ日本と文化交流をしたいと思っています。私達の国の人々に文化を認識させ、実りが享受できるようにするためです。現在も、国の法律を犯して私達の文化を悪用する人達がいます。だから、私達の文化をずっと守り、後世に残すためには、助け合って、文化を悪用しようとする者たちを防ぎ、私達の国を造るために、つまり地球が美しく豊かな文化で溢れるようにするのと同じことですが、外国との文化交流が必要なのです。
今まで述べてきたことをまとめると、文化とは精神を集める原点であり私達の文化的知識を測る物差しであり、国家つまり地球の豊かさのレベルと同じなのです。繁栄した素晴らしい国家を建設する仕事に参加し、素晴らしい文化を持ち続けることができるよう、私は、自分が文化的知識のレベルが高い人間になるために自分を磨く努力をしたいと思います。
(サイヤブリー県 サイヤブリー高校)
文化は、国家の財産であり、国の独自性を示すものです。私達の国ラオスにも、日々の暮らしの中に息づいている素晴らしい文化があります。私は、私達と切り離すことができないラオスの文化を大切にし、その素晴らしい文化を守る努力をし、後世に残して行きたいと思います。
私達の国ラオスは、豊かな美しい文化を持っている国の一つです。ラオス人はみんな豊かな文化を持つこの国に生まれてきたことを誇りに思っています。もちろん、私自身も同様に感じています。ラオスの文化は、ラオスの国家と共に生まれ、いつの時代も社会に暮らす人達に、その慣習を守って暮らしていくことを教えてきました。例えば、礼儀、上品な話し方、作法、常に目上の人に対しては礼節をわきまえることや礼儀を重んじること、お寺で説教に耳を傾けることなどは、ラオス人が昔から培ってきた文化なのです。
これ以外にもラオス人の独自性を表しているものがあります。例えば、素晴らしい芸術、舞踊、歌、ラムという語り芸、寺、遺跡、古い仏像などです。私が住んでいるサイヤブリー県も、長い間信奉されてきたシーブーンフアン寺に見られる独自の文化や芸術を持っています。
だからこそ、私達はずっとラオスの文化を保護していくべきなのですが、今日では、社会に見られるように、一部の若者はラオスの文化に関心を払わなくなってしまいました。ディスコやバーに出入りし、短い洋服を身につけ、お酒に酔い薬におぼれるといった社会を後退させる問題を生じさせている一部の人達のことがテレビ、ラジオ、新聞などで報じられています。このような事柄に対して、私の暮らす村では村長さんが、村の人達に、寄進をしお寺にお参りに行くように、また、悪いことをしたり、ラオスの文化を壊すようなことをしたりしないように呼びかけています。これは服装や慣習に即した社会生活のあり方などについての話です。
私は、将来を担う小さな芽である若者、いいえ、全ての国民が国や文化を売るようなことをせずに、国の文化を守っていかなければならないと考えます。自分達の文化を愛し大切にすることを知るべきなのです。独自の文学を愛すること、また、それぞれの県・地域は、意味は同じでも発音の違った言葉(方言)を持っているのですから、乱れた方言を使ったり、方言が消えてしまったりしないよう大切にしなければなりません。「言葉は国を表し、礼節は育ちを表す」という言葉があります。私自身も語り歌を守り、ラオスの素晴らしい文化を学び、また、文化について多くのことを知っているお年寄りから美しい伝統慣習を学ぼうと努めています。ラオスの文化をこの地球上に、ラオス国民の精神の中に、後世に残すためにも世界の素晴らしい文化を学び、豊かなラオスの文化を国際的なメディアに対し広めたいと思っています。文化というのは、ラオス人の生活に触れてみたいというように外国人観光客の気持ちを惹きつけるものでもあり、国家にも収入をもたらすものだからです。素晴らしい民族衣装に見られるように、日本も同じように素晴らしい独自の文化を持つ国の一つです。私は、本物に触れたことはありませんが、テレビやラジオ、新聞、雑誌などから日本が独自の古い文化を持った有名な国であることを知ることができます。私は、日本と同じようにラオスの文化を後世に残したいのです。
文化は、私達にとって最も大切で必要なものであるということができます。もし文化が国から無くなってしまったら、国のアイデンティティーも消えてしまうでしょう。だから私はラオスの文化がいつもラオス人と共に在るように、自国の文化を見捨てないでいつまでも大切に守って行きたいのです。