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学んだことを世界に発信するために、フォトブックを作成しました。
ASEAN14カ国混成学生訪日団 潮来グループ オーストラリア引率者
 
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招聘

・帰国後発信報告:
学んだことを世界に発信するために、フォトブックを作成しました。
ASEAN14カ国混成学生訪日団 潮来グループ オーストラリア引率者

 キズナ強化プロジェクトで学んだことを世界に発信するために、フォトブックを作成しました。
 →こちらからご覧いただけます。(英語表記)

*** 上記フォトブックの日本語訳概要(被災地訪問プログラム部分) ***

はじめに
 このプログラムで得られる知識をより広く発信し、日本に還元できることはないだろうかと考えています。マルチメディアを専攻し、学位を取得したプロのカメラマンである私は、国や人、言語、文化を紹介する、面白くて教育的なメディアを制作することができます。プロの卓越した編集で、日本について学習する人や教える人も楽しめるような、興味深い文化の習慣や言語情報などを、鮮やかな画像とともに掲載した本や作品を、今後製作する予定です。

 私はこのたび、アジア大洋州地域及び北米地域との青少年交流(キズナ強化プロジェクト)に、引率教員として参加しました。このプロジェクトは、日本復興計画の一環として、東日本大震災に対する日本の復興への取り組みについて、世界の人々に理解を深めてもらうことを目的としています。
 このプログラムの参加者は、立入禁止地域および避難指定地域を除く、東日本大震災の被災地を4日間訪問し、日本の震災復興の現状について見学し、学びます。今回の訪問には、日本国際協力センター(JICE)が企画する学校訪問およびボランティア活動が含まれます。
 被災地訪問後、参加者は全員、日本の一般家庭に滞在し、日本文化とライフスタイルを体験します。そしてプログラムの最後では、参加者全員が東京に集合し、プログラムで学んだ内容について共有します。
 過去2年間、日本に在住した経験を持つ私は、現在日本語教師として勤務しています。今回のプログラムは、2011年の東日本大震災が、実際に日本の皆様にどのような影響をもたらしたのかについて理解を深め、また現在も続く復興への奮闘や震災の爪痕について、私の住む地域で広めていく最良の機会であると捉えました。
 また、私の日本語会話力にさらに磨きをかけ、私の愛する日本という異文化を、地元の学生たちに紹介したいという思いもありました。

来日オリエンテーション
 アデレードからの訪日団は、学生12名、教員1名(私)で構成され、都市部の学校から参加した女子10名、男子2名がその内訳となっています。私たちはプログラム開始前に2度、顔合わせをしました。1度目はプログラム選考過程の面接時、2度目はプログラムの詳細や、参加者についてよく知るため、出発の1週間前に集まった時です。
 2012年12月2日、シンガポール行きの飛行機に乗り、20時間の異動後、12月3日に日本の成田空港に到着しました。その後、プログラムの詳細内容について、オリエンテーションとブリーフィングを受けました。

 プログラムのブリーフィングは東京で行われ、2011年の震災の影響に関する講義を受けました。この講義には、私たちがプログラムの参加者として実際に訪問する場所や、各地が陥った苦境に関する詳細な内容が盛り込まれていました。また、今回の震災や、1995年に神戸で発生した大震災など、過去の震災から日本人が得た教訓に関するお話も伺いました。

水道局訪問
 お台場にある水道局を訪問しました。ここでは、東京という大規模な都市に供給するために必要な、下水処理システムや水処理施設を紹介したビデオが上映されました。続く説明では、飲料水の蒸留方法や、水道水として一般に提供されるまでのデモンストレーションが行われました。
 説明の後、私たちは地下の水処理施設に案内されました。ここでは、水を浄化し、飲料水として提供するため、微生物を利用していることや水の動きについて理解を深めました。
 この視察は特に興味深いと思いました。地下に設置されていたため、水処理センター自体は、2011年の震災による影響をまったく受けなかったそうです。東京という、この超巨大都市の下には、他に何が埋まっているのか考えてしまいます。

被災地、潮来市訪問
 私が訪問した被災地は、茨城県の潮来市でした。この地域は主に、福島原発事故の放射能による厳しい風評被害にさらされていました。潮来は田園部であり、人口の大半は農作物で生計を立てています。そのため、農作物への風評により、彼らの生計は苦しくなる一方でした。
 道路や、被災した建物にも、震災の物理的被害が見てとれました。地震そのものによる犠牲者はいなかったものの、潮来市長は2018年まで継続して復興に取り組む旨を表明しています。

 私たちは、ある被災したお寺を訪れました。このお寺の敷地の一部は、地元の幼稚園となっています。訪問中、子どもたちがサッカーで遊んでいるさまは無邪気そのものでしたが、地元のお坊さんは敷地内を案内しながら、この地域がどれほどの被害を受けたのか説明してくださいました。幼稚園の建物は、特に地面の液状化によって、地盤沈下が生じていました。そのため、建物の放棄や再建をせずに、足場を掘り下げ、新たな階を作ることで対応しているそうです。

 お寺の鐘つき堂は、他の小さな建物とともに破壊されていました。幸運にも、本堂はわずかに被害を受けただけで、液状化もほとんど起こっていませんでした。私たちが訪れたお寺は、こうした建物を再建し、「地蔵菩薩」の奉納を拡大しようと計画しています。地蔵とは、亡くなった子どもの菩薩です。地蔵菩薩は、子どもや妊婦、火消し、旅人などの守り神であり、日本仏教でもっとも親しまれている像のひとつです。特に、地蔵は亡くなった子どもを守るとされ、日本の民話では、地蔵はよだれかけの下に子どもをかくまい、鬼から守り、浄土に導くとされています。

 こうした追悼は、被災家族の心に響くことだろうと感じました。震災による地域住民の犠牲者が出ていない潮来のような地域でも、さらに北の地域の人々に対する、心を込めた追悼を送る。そこに、日本の地域社会をひとつにする愛を見たように思います。

河川管理事務所訪問
 潮来に滞在中、霞ケ浦・北浦・外浪逆浦の湖沼水系で河川管理をおこなう、地元の管理事務所を訪問しました。この施設は、同地域の津波災害早期検知を担う重要な施設となっており、何十ものリアルタイムカメラやセンサーで監視をおこない、異常数値が検出されると、すぐに対応できる仕組みになっています。
 私たちが立ち入った制御室は、NASAのミッションコントロールセンターのようでした。6台設置された大型テレビは、リアルタイムで湖沼周辺の画像を写し出し、大型マップとリアルタイムの統計値が表示され、いたるところにコンピュータが置かれていました。こうした施設が必要であること、災害時に使用されていることに感嘆しました。私の地元には、地元の消防施設以外に、これと同レベルの災害対応施設があるとは思えません。日本の人々が、将来の災害被害を最小限にするため、非常に努力を重ねているという印象を受けました。

文化、伝統
 潮来滞在中、地元の高校生の皆さんから太鼓の演奏が披露されました。そして私たちのうちの何人かが、即席でしたが、勇気を出して皆さんの前で地元のパフォーマンスを披露しました。
 ホテルは典型的な和風旅館の造りで、布団と畳の部屋でした。風呂場では、多くの学生が他人の前で服を脱ぐことを恥ずかしがり、入るのをためらっている様子が伺えました。
 復興支援のための、ちょっとした工作にも参加しました。私たちは、着色された包装用テープのようなもので、潮来市を代表する花であるアヤメの花を作りました。私は、この種の工作が大の苦手なのですが、このセッションを企画してくださった日本のご婦人たちが、非常に親切に手助けしてくださって、ようやく完成させることができました。

 伝統的なお茶会に参加しました。通常のお茶会には、お茶を点てる「茶人」(お茶会を主催する人です)と呼ばれる人が目の前に座りますが、時間がなかったため、お茶は事前に点てられ、伝統的な作法でふるまわれました。まず、正座している間に和菓子が出され、それをひと口頂きます。そうすることで次に出される濃い茶の苦みをやわらげることができます。
 和菓子とお茶をお客一人ずつ順番にふるまい、そのたびにお点前さんは1人ずつにお辞儀をします。これは、茶人と客人との間の互いの敬意と感謝を示す、すばらしい例です。
 すばらしい着物に身を包んだお点前さんたちは、茶道の細かな作法や着物の話のほか、茶道で使用する小物についても私たちにわかりやすく教えてくださいました。

震災被害の大きかった鹿島港を訪問
 潮来市で最も大きな震災被害を受けた、鹿島港を訪問しました。鹿島港は世界有数の工業港で、鋼や石油精製、石油製造業を中心とし、穀物では日本最大の輸入港となっています。
 港湾の写真をGoogle検索するだけで、2011年の津波災害後のこの地域の壊滅状態が見てとれます。貨物コンテナが失われ、防波堤を超えて船舶が投げ出され、機械類が損傷しましたが、現在復旧がおこなわれているのはその一部でしかありません。訪問中、実際に場所を指摘されるまで、そうした箇所を見つけることは難しい状態でした。
 ガイドさんは、津波が襲った時にラジオを聞いていなかったら、津波に襲われていただろうと断言しておられました。テレビやその他の通信ラインは、地震で切断されていたためです。

おわりに
 このすばらしいプログラムに参加し、私はかつて考えもしなかったような、すばらしい活動を体験することができました。今回のプログラムは10日間でしたが、もう少し長い期間だったらと思うばかりです。
 このプログラムの特色は、2011年の震災が、私たちが訪れた被災地だけではなく、全国の方にもたらした影響を深く理解するための、まさに絶好の機会だということです。社会がさまざまなレベルで被災者を支援し、復興に向けた課題に取り組んできた姿は、本当に素晴らしいと思います。
 また、私たちの母国を地域の人々に紹介し、日本の方々からはその生活に関するお話を伺うなど、今回の貴重な体験から、日本語や日本文化に対する理解を深めることができました。今回のプログラムは、日本語教師として今後の授業に生かすことができる有用な知識を提供してくれました。日常生活では、以前よりもはるかに自信をもって日本語を用いることができますし、文化慣習や災害復興についても、以前よりもはるかに理解が深まったと確信しています。
 明日またプログラムの募集があるならば、私は出願書類をもって先頭に立っていることでしょう。

 

その他、同プログラムの情報についてはこちらをご覧ください。