• トップ
  • はじめての方へ
  • キズナとは?
  • プログラムページ
  • 募集・Q&A
トップ > プログラムページ > SAARC諸国 > インド > 招聘 > 帰国後発信報告:オンラインメディアに東日本大震災と日本人の「我慢」についての記事を書きました
インド第4陣訪日団 学生
 
プログラムページ
 

北米諸国

ASEAN諸国

SAARC諸国

その他アジア諸国・地域

大洋州・太平洋島嶼国・地域

その他

 

招聘

帰国後発信報告:オンラインメディアに東日本大震災と日本人の「我慢」についての記事を書きました
インド第4陣訪日団 学生


 インド第4陣で福島県南会津町を訪れたアナンド・ウペンドランさんが、オンラインメディア「オープン・デモクラシー」(2014年4月17日付)に東日本大震災に見る日本人の「我慢」について記事を書きました。記事の一部をご紹介します。

・記事全文(英語)
 The Great East Japan earthquake and the search for 'gaman'" ( オンライン / PDF1,267KB)



「東日本大震災と『我慢』」
 日本人の「我慢」の精神―苦境の中の気高い忍耐力―は、国家的災害に対する日本の独特の受け止め方を最もよく表しています。

 東日本大震災とそれ以前の震災との大きな違いは、震災後の広範囲にわたる被害でした。津波による街の荒廃に加え、福島第一原発所の原発事故が起こりました。学校の体育館等へ避難していた被災者は、自分たちが失った物だけでなく、見えない未来や数多の困難と闘わなければなりませんでした。

 「我慢」という言葉は、震災のすぐあとから聞かれるようになりました。記者のハナ・ビーチはタイム誌に「被災地で実際に話した皆が自分たちの状況を表現するにあたって見せた忍耐と自己犠牲の交錯」について記しています。彼女は記事の中で、震災後に略奪や暴動、違法行為等がほとんどなかったことを踏まえ、日本に深くしみ込んだ社会哲学を次のように言い表しました。

 「被災地でさえ、悲痛を訴えることは控え目です。静かな悲しみは、自然災害に激しく苦悶する他国の人には分かりづらいかもしれません。日本では涙は落ちても、静かなのです」

 日本人のこの特性は、天皇陛下の非常に謙虚なおことばにもよく表れています。

 「国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています」

「福島における我慢」
 私は2013年3月、日本政府が実施するキズナ強化プロジェクトで福島県を訪れ、東日本大震災の被害と日本政府の復興政策について理解を深めました。短期間でしたが、人々に及ぼした影響を間近で見る好機となりました。

 私たちは南会津町で、富岡町から来た年配の被災者3人と交流しました。富岡町は沿岸部にあり、桜と豊かな作物で有名でしたが、放射性降下物により約3万人(原文まま、実際には約1万5千人)の町民が避難を余儀なくされました。一人は故郷や桜の美しさを思い出しながら、桜を見に帰りたいと話しました。もう一人は、避難所で定期健診が受けられて、新しい友情ができても、住み慣れた町や近所の人たちに囲まれた「普通の暮らし」に戻り、先祖の墓参りもしたいと願っていました。最後の一人は涙ながらに、自分の着物や食器類を支援物資として十分寄付しなかったことを後悔していること、また仮設住宅で感じる人々の絆を日本の被災者全員に広げたいことを話してくれました。

 会津若松市にある大熊町では、公園建設予定地が仮設住宅に変わり、原発事故の影響により約78家族が暮らしています。住民の一人は、「楽ではない」と言ったあと、それでも込み合った避難所よりは良く、安心して暮らせると話していました。

 振り返ると、福島では震災に対する喪失と再起が見受けられました。大熊町の仮設住宅では、子どもは学校へ、大人は近くの町や都市へ仕事へ行きます。運動や雪かき、祭り等は、除染作業により故郷へ長年帰れない人たちの生活に、地域社会の暮らしをもたらしました。各家の外に置かれた小さなプランターには植物が育っていました。迅速に、しかし効率的に建てられた集合仮設住宅の白壁には、ボランティアが住人の暗い気持ちを察し、そこに暮らす子どもたちと緑の木やピンクのハート形の葉を描きました。数えきれない喪失がある一方、語られない再起の物語がしばしばあります。

「有意義なアプローチ」
 復興庁が2013年6月に発表した「『新しい東北』の創造に向けて」には、被災地を「創造と可能性の地」にすること、「今なお31万人もの被災者が仮設住宅等での避難生活を余儀なくされている」こと等が記されています。津波被害を受けた地域の復興は進んでいる反面、原発事故が起こった地域は大変困難を極めています。

 放射能の特性やその長年に及ぶ影響、制御下に置く険しい道のり等、福島原発事故は日本に消えない傷を残しました。手つかずになったままの町もあり、原発所付近で暮らしていた人たちは二度と戻れないのではと認める日本の官職者もいます。

 私たちは、危険や困難に直面したときに生来の強さが発揮できると信じています。しかし私たちはまた、救われない喪失や見えない未来に直面したときに強さや希望を奮い立たせることが、人や社会にとっていかに容易でないかを理解しています。この二面性が、日本社会に馴染みのない人にとって「我慢」の真の意味を理解することを困難にしています。悲劇を分かち合う国における再起の文化的特徴としての忍耐について、日本大震災後の「我慢」を見ることは、震災や自然、その他の事象に対する人々の姿勢を知るのに有意義なアプローチなのです。